一所懸命 ~人生の極意~
一所懸命。
今、ここに、命を懸ける。
今、ここを、生きる。
それが極意。それがすべて。
あなたが生きられる唯一の時、それは、“今”。
あなたが生きられる唯一の場所、それは、“ここ”。
あなたは常に“今、ここ”を生きて来たし、これからも“今、ここ”を生きていく。それ以外にない。
“今、ここ”以外を生きられた者はいない。誰一人、“今、ここ”から出ることはできない。
“今、ここ”は、唯一の実在。文字通り“すべて”なのだ。
それ以外は、どれも観念。幻に過ぎない。
しかし、その幻に我々はとらわれる。
過去への後悔、未来への不安。すべては観念、幻だ。
他人への妬み、負い目、恨み。すべては観念、幻だ。
すべての苦しみは、“今、ここ”ではない幻の世界からやってくる。
幻にとらわれれば、あなたが真に生きることはない。
「俺は馬鹿だ」
それは、“今、ここ”ではない。観念だ。
「俺は人から認められない」
それは、“今、ここ”ではない。観念だ。
「私はブスでモテない」
それは、“今、ここ”ではない。観念だ。
「私は貧乏だ」
それは、“今、ここ”ではない。観念だ。
「私はいつになっても成長しない」
それは、“今、ここ”ではない。観念だ。
「私には何の資格も実績もない」
それは、“今、ここ”ではない。観念だ。
「あいつはひどい。許せない」
それは、“今、ここ”ではない。観念だ。
「なぜあいつに負けたんだ」
それは、“今、ここ”ではない。観念だ。
「嫌な上司と離れたい」
それは、“今、ここ”ではない。観念だ。
「別れたあの人が忘れられない」
それは、“今、ここ”ではない。観念だ。
「将来が不安だ。やっていけるだろうか」
それは、“今、ここ”ではない。観念だ。
誰も彼もが、“今、ここ”には実在しない記憶や想像、幻に呑まれ、押しつぶされそうになっている。
しかし、実際のあなたは、どこにいるのだ?
今、あなたは何かを見ている。
今、あなたには何かが聞こえている。
ここに、あなたは座っている。
ここに、あなたは寝転がっている。
立っている。歩いている。話している。
笑っている。泣いている。
感じている。味わっている……。
それがあなただ。いいも悪いもない。
あなたは、ただ、確かに“今、ここ”にいる。
一所懸命。
今、ここに、命を懸ける。
今、ここを、生きる。
それが極意。それがすべて。
私は、今、ここに、在る。