手相を読む 手相を活かす
占いセッションをしていると、自分の手相について様々な心配や気がかりを抱えている人が、思いのほか多いことに驚く。
「子育てで苦労すると言われた」
「これから大きなトラブルに見舞われると言われて心配」
「別離の相があると言われたが、幸せな結婚はできるのだろうか?」
「良くない手相だと言われて落ち込んでいる」
このように、どこかで占い師や手相家に言われた言葉が、その人の重石になって動きを阻んでいることは珍しくない。占いという非日常の状況で言われる言葉は、特殊な力を持つ。それは往々にして人の心に深く刻まれ、その後の人生に少なからず影響するものだ。
殊に、自分の体の一部である手相について言われたこと、とりわけネガティブな情報は、その人が自分の手を見るたびに、暗い自己認識を思い出させ、様々な局面で行動や判断を縛ってしまいがちだ。
日々、手相を見ている立場としては、手相がこうした呪縛となってしまうことは、大変残念かつ全く不毛であると強く感じる。というのも、そもそも手相は、人の短所や欠点を指摘するものではなく、その人の質をいかに活かすかを読み取るものであるからだ。
人それぞれに“質”がある。それは捉え方、表現の仕方次第で、長所にも短所にもなる。故に、その質が端的に表れたものである手相に、「いい手相」も「悪い手相」もない。そこには、その人の体質、気質、考え方や感じ方の特徴と、人生の様々な局面やそれぞれの時期における傾向、現在のコンディションが表れているだけである。
“手相を読む”とは、そうした様々なサインを手掛かりに、その人の人生を豊かにする知恵や方策を探っていくことだ。どんな質、どんな時期にも、その質、その時期ならではの活かし方が必ずある。それを見つけるのは面白いことだ。どんな人にも持ち味があり、どんな人生にも味わい方、広げ方、深め方があることを知るのは、喜びだ。
人は、自分の持ち味に気づいたり、その活かし方を見つけたり、人生が豊かになっていく可能性と方向性を見出したりすると、嬉しくなる。そして、元気と意欲が湧いてくる。
手相には、自分ではなかなか気づけない、その人の素晴らしい資質、その人生の素晴らしい可能性が詰まっている。それらを紐解いていくことは、本来、とても楽しく豊かなことなのだ。
日々の占いセッションで様々な方の手相を見ていると、一人一人に、その人にしかない持ち味があり、その人だけの人生の流れがあり、出会いがあること、そして、誰もがそれぞれの喜びや悲しみや強さや弱さの中で、ひたむきに生きていることを感じて、人間の素晴らしさ、人生の豊かさに感動することが多い。
手相は、自分自身や身近な人のあるがままの姿に出会い、深く理解し、愛することを助けてくれる、誰の手にも刻まれた素晴らしい贈り物だ。セッションでいらしたことをきっかけに、自分でも手相の奥深い世界を学びたいと、講座を受講される方もいる。
セッションで、講座で、一人でも多くの人が、手相の素晴らしさを知り、自己理解、人間理解、そして自他を大切にする知恵として活用してくれたら、こんなに嬉しいことはない。
(参考)
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