花に任せる 時に委ねる
逢いことばは、おかげさまで、6月9日に1周年を迎えました。
あっという間の1年でしたが、この店を見つけて、来てくださるお客様とのご縁に、改めて感謝の気持ちを感じる日々です。
開店初日には、たくさんの方々がお祝いに花や植物を届けてくださいました。
届いたばかりの初々しい植物たちは、新しくオープンする店特有の、なんとなくそわそわした「気」を受けて、最初はどこか落ち着かない様子だったのが思い出されますが、それから一年、今ではどっしり構えて、巡る季節としっかり調和して、それぞれのペースで新芽を出したり、葉を茂らせたりしています。この店でお客様をお迎えする時に、みんなそれぞれの場所で素敵な役割を果たしてくれている、“大切な仲間たち”です。
その中の一つ、開店祝いとして頂いた胡蝶蘭の鉢植えには、真っ白な美しい大輪の花を咲かせた3本の株がありました。
どの株も、花のあとは青々とした緑の艶やかな葉を元気よく伸ばしていたのですが、ある日、1つの株の葉に、乾燥したシワが目立ち始めました。そして株全体も、だんだんと元気をなくしてしまったのです。胡蝶蘭は、うまくすれば2度目の花を咲かることや、毎年花を楽しむこともできるそうなのですが、蘭を育てることに不慣れな私は、蘭の特性を踏まえた育て方を上手にしてあげられなかったのです。
乾燥して全体がシワっぽくなった株は、とてもかわいそうな姿になってしまいましたが、それでも根の一部や葉の部分はまだ生きていることがわかります。ネットで調べてみると、シワシワになった株でも蘇生できる可能性がないわけではない、ということがわかったので、私は一か八か、その株を自宅に連れ帰って蘇生を試みることにしました。
傷んだ根を切り取り、専用の植え込み資材に植え替えて、水やりの頻度や日当たりに注意を払いながら、新しい鉢に株が根付くことを祈りました。冬の寒い夜には鉢を丸ごとビニール袋で覆って、「にわかビニールハウス」で温度と湿度管理らしきことも試みてみました。
もっと上手に水やりができていたら……という後悔と申し訳なさを感じましたが、とにかく愛と応援の気持ちで、この株に頑張ってもらうしかない。そんな思いで拙い世話を続けました。
株の生命力に賭けてみること数ヶ月。
ある日、シワシワの葉の根元から、小さなイモムシのような緑色の根が、ひょろっと伸びていることに気づきました。そして、シワシワの葉の間からも、小さな新しい緑の葉がひっそりと顔を覗かせていました。
まさに根っこと葉っぱの赤ちゃんのような、小さな小さな命ですが、自分がしっかり生きていることを、株の方から確かに伝えてくれたことがわかり、嬉しさがこみ上げてきました。
そのうち1枚のシワシワの葉が、少しずつ黄色に色あせて、ある日静かに根元から離れました。植物は、新しい芽や葉に栄養を譲るために、古い葉を自ら落とす時がありますが、きっとこの株も、新しい葉っぱに栄養を与えていくために、自らそう決断したのでしょう。
小さな根っこと葉っぱは、今も自分のペースで、毎日少しずつ成長しています。
この株は、花をつけることはないかもしれません。でも、花を咲かせることだけが全てではないことを、いつも私に思い起こさせてくれます。
「花は、咲く時には咲く。咲かない時には咲かない。
ぼくは今、ただしっかり生きている。
以上。」
「花を咲かせる」という言葉を、人間は何かの成就や達成の美しい象徴のように使いますが、当の植物たちにとっては、それはあくまで生命の発露の一つであり、生命の流れのプロセスに過ぎないのかもしれません。
そこに至ることに執着するわけでも、投げやりになるわけでもなく、毎日ただ、しっかり生きて、自分のリズムを刻んでいる。
そして時がくれば、花を咲かせることもあるけれど、咲かないことだってある。
「でもそれは、いいも悪いもない。ただ時の流れの中で、自分の生命が、その時、最大限できることの表れなんだ。それこそが、永遠に続く生命の螺旋のリズムなんだ。
それでいいじゃない。それ以上に、いったい何ができるの?」
小さな根っこと葉っぱが伝えてくれる、大きな真理のように感じます。