愛のある関係
家族、友達、恋人、仕事仲間。
人は、様々な人と関係を持って生きている。誰もいなくて独りぼっちじゃ寂しいけれど、親しい人がいたらいたで、喧嘩をしたり、不満を持ったり、ストレスの種になったりして、生きるのがつらくなる。
「逢いことば」に来る方の相談でも、家族や夫婦間の問題や、恋愛、職場の人間関係など、人とのつながりの上での悩みが多くを占める。
人と人との関係を決めるのは、愛と恐れだ。
「あなたはわかってくれない」
「おまえはもっと学んだ方がいい」
「あなたはこうすべき」
「おまえはそうすべきじゃない」
「君は間違っている」
こんな言葉が出るならば、そこに愛はない。相手のリアルなありようを、自分の気の済むように、縛り、曲げ、剪定するのは、愛ではない。愛がなければ、人と人との関係は、取引になる。戦いになる。正しさと勝ち負けを競う関係に安らぎはない。早晩、一緒にいるのが苦行になる。悪くすれば地獄になる。
では、愛のある関係とは何か?
愛とは、相手の生命のありようを、そのままに受け容れることだ。
人は本当は、相手の真の姿、真のありようを、正確に感じ取る直感を誰もが授かっている。それが健全に機能していれば、すなわち愛であれば、相手の様々な言動が、その人にとって必然であり自然であり無理からぬことであり、人生の欠かせない大切な一ステップであることを完全に理解でき、受容できる。
それができず、相手に要求したり変えさせようとしたり不満を持ったりするのは、すべて自分の中の恐れから来ている。人は誰しも心に傷を持っていて、そこに触れられると、自分自身の存在が脅かされるような恐れを深い部分で感じ取る。自分と異質なものにふれると、自分の一番見たくない部分が逆照射されてさらけ出されるような恐れを感じるようにできている。
それを避けようと、正当化や批判や糾弾や、偽善的譲歩、干渉が起きるのだ。
「あなたのため」「悪気はない」「良かれと思って」「大切なことだから」というのは、殆どの場合、臆病な自分の隠れ蓑だ。そこに隠れている自分の心は何だろう?
「私は悲しいんだ」「俺は悔しいんだ」「僕は寂しいんだ」「私は不安なんだ」…
そんな本当の自分の気持ちを表現することができず、相手への要求という歪んだ形でぶつけることから、大半の人間関係のトラブルは起きている。
本当の気持ちを打ち明けるのはもちろん、それを自分の中に認めるのさえ、勇気がいることだ。でも、その勇気を出して、あるがままの心を打ち明けると、親子、夫婦、友人、恋人、様々な関係が驚くほど改善する。信頼と安心感のあるつながりが生まれる。
愛のある関係を築く鍵は、心を開く勇気。
愛と勇気である人は、相手をあるがままに生かし、自分もあるがままに生きる。